みなさんこんにちは、ルビーです(@Alcoholic_ruby)
いろいろな国に旅をし、マレーシアに転職して移住中の私。
こんなアクティブな性格になったきっかけのひとつが、東南アジアへ1ヶ月間の旅をしたことです。
ただの旅ではありません。よく知らない東南アジアの土地へ、バックパッカーを背負い、女ひとりで行きました。
では、なぜ東南アジアに行こうと思ったのでしょうか?
この長い旅を決意した当時、人生に悩んでいた真っ只中でした。傷ついた心を癒す、傷心旅行。もしくは「心の洗濯のため」といってもいいかもしれません。
今回は旅を決意したきっかけをお話しします。
1年間続けた多忙な日本での生活 自暴自棄になり旅を決意
ニュージーランドでのワーキングホリデーを終え、日本で再就職した私はジムのパーソナルトレーナーとして働いていました。
そのジムの名前は「メイドジム」。
名前の通りメイドの格好をしたトレーナーが、マンツーマンでトレーニングを教えるコンセプトのジムでした。
▲なので、制服はメイド服
今はもう、恥ずかしくて着れません。笑
悲しいことに、フィットネス関係のお給料はお世辞にもよいとは言えず。
パーソナルトレーナーのほかに、フィットネスジムのスタッフ、居酒屋で夜勤と3つの仕事を掛け持ちし、忙しい日々を送っていました。
そのうえ、ニュージーランドで体重が5kg増えた私は、ジムで働いていても恥ずかしくない身体を手に入れるために、1日1食の超ストイック生活を続けていました。
▲ニュージーランドのホビット村にて
1日1食生活と3つの仕事をかけ持ちする、努力と我慢の甲斐あって、目標体重と目標収入を手に入れていました。
▲1日1食生活をして、ベストスタイルだった頃
ですが、そんな無理な生活を続けられるわけもなく。
ある飲み会に参加したのがきっかけで、我慢の糸がプツンと切れてしまいました。本当に切れる音が聞こえるくらい。その瞬間、すべてがどうでもよくなってしまったのです。
その日は普段絶対口にしない揚げ物、チーズ、スイーツの嵐。吐くまで食べました。
その日からいくら努力しても体重は増えるいっぽう。仕事は忙しく、すべてのストレスは食欲へ変わっていきました。食べては泣いて、吐いて、泣いて、また食べる。
あんなに頑張って落とした5kgは、ほんの2週間でリバウンド。その時、私はひらめきました。
そうだ、海外へ逃亡しよう!
3つの職場に相談し、1ヶ月お休みをいただき、旅に出るのを決意。
海外にひとりで行けるなんてすごい! 怖くないの? 危なくないの?
と、友人によく聞かれましたが、むしろ日本で働き続ける方がすごいと思います。
仕事を掛け持ちしないと、十分な給料はありません。精神的や時間の自由もほとんどない。私にとっては、日本で働き続ける方が身の危険を感じました。
旅の目的地は安くて近い東南アジアへ ラオスで象使いの資格を取る
旅に行くとなって、まず何を考えるか。
1番は、お金と時間です。
今回は1ヶ月もあるので、時間の問題はクリア。1ヶ月も休める友人はいるわけもなく、旅は必然的にひとり旅になります。
私の「死ぬまでにやることリスト」を見ながら、スキューバダイビングの資格をとりに行くか、ヒッチハイクで旅してみるか、計画を立てていきます。
▲「My 100」というアプリがあり、そこにやりたいことを100コ書き出しています
考える中、仲のよい旅仲間が「ラオスで象使いの資格を取りにいきたい」と言っていたのを思い出しました。
「そもそも、ラオスってどこ?」レベルの認知度でしたが、東南アジアだったら安くて近いからいいかも。
東南アジアに絞り、旅をすると決めました。
東南アジアのどこに行こう? ベトナムを軸に旅程を立てる
ラオスで象の資格をとりに行く目標ができました。
Googleマップを開き、ラオスの位置確認。
近隣の国へのアクセスを調べながら、計画を立てます。Skyscannerで航空券を見ながら、できるだけ陸路で移動できそうな旅程を立てます。
せっかく汗水流して稼いだお金。航空券代金ですべて消えるのは悔しい。
そんなこんなで決まったのは、
ベトナム→ラオス→タイ→カンボジア→韓国→日本
というプランでした。
成り行きに任せて旅をしたかったので、
- ベトナム行きの航空券
- 到着した日の宿泊場所
だけ確保。
航空券は9000円くらい。
「ホステル」と呼ばれる、バックパッカー向けの安い宿泊施設の料金は110円でした。
東南アジア生活に慣れるため出発1週間前から湯シャンする
さて、行き先も決まり、準備に取りかかります。
現地のことをある程度調べ、できるだけお金の使わない方法を考えました。現地の文化にあわせ生活できるように、旅行1週間前からシャンプー、コンディショナーを使わず湯シャンで頭を洗うように。
預け荷物のないLCC(格安航空会社)でコンタクトの洗浄液を持って行ったら、それだけで機内持ち込みの規定内ギリギリ。
荷物はリュック1つと袋1つ。中には薬、コンタクト用品、化粧品、下着3セット、Tシャツ3枚、ズボンとスカート1着ずつ。荷物も最小限に抑えたかったのです。
女子力のかけらもない、最低限の荷物で初のバックパッカー。家族に見守られながら、東京成田から出発したのでした。
女ひとりで東南アジアを1ヶ月間をどのように過ごしたのかは、次回の記事をお楽しみに!