こんにちは、ルビーです(@Alcoholic_ruby)
現在、マレーシア移住をして旅行関係の仕事をしています。
前回の記事で「日本でフリーターをしている最中、日本にいるのが嫌になり東南アジアへひとり旅をする決心をした」という話をしました。
その後に、マレーシア移住をしました。
なぜ日本が嫌になったのか、マレーシア移住しようと思ったのか。今回はその理由と経緯をお話しします。
幼い頃から成人するまで、海外に滞在。日本でブラック企業に就職するも、退職して3つの仕事を掛け持ちするフリーターになってみたり。
こんな経験の中で、好きなことを仕事にする決意ができたこと。また「海外が性に合っている」と気がついたのが大きな理由でした。
▲東南アジアへ1ヶ月間ひとり旅をする決心をした記事はこちら
私は幼い頃から海外で過ごしたバイリンガルです
現在、マレーシアに移住中の私。
日本語と英語の2ヶ国語を話せるバイリンガルです。バイリンガルになれたのは、幼い頃から海外に滞在していたから。
小学生 オーストラリア留学
高校生 イギリス短期留学
大学生 アメリカ留学
成人 ニュージーランド(ワーホリ)
このような珍しい人生を送ってきました。
海外生活ばかりではなく、大学卒業後、一般企業に勤めていた時期もあります。
▲社会人1年目の私
ニュージーランドでのワーホリは社会人1年目を経験し、退職してから行きました。
マレーシア移住するまでの経緯をまとめると、
2015年4月 一般企業に入社
2016年2月 1回目の退職
2016年2月 ニュージーランドへワーホリへ
2017年2月 ワーホリから帰国
2018年2月 日本でフリーター生活
2018年4月 2回目の退職
2018年5月〜 マレーシアへ転職と移住
という流れです。
全部で2回の退職。
1回目の退職理由は、ブラック企業だったから。
2回目の退職理由は、自分の可能性を信じ、好きを仕事にする決意をしたからです。
サービス残業 差別 セクハラありの職場 ワーホリが救ってくれた
大学卒業後、ブラック企業に就職。
毎日サ-ビス残業。有給は結局1回も使えないまま、退職しました。
勤めていた頃は、毎日1時間半かけて通勤。仕事では理不尽なことばかり。本当に辛かったのですが、感覚がマヒしていき、長時間の通勤や理不尽さを我慢するのは、当たり前になっていきます。
営業職だったので周囲には男性が多く、遠回しに差別的な発言をされることも。明らかにおかしいのに「頑張っている私は偉い!カッコイイ!」と思うようにもなります。
こんな状況でも、自分がしている仕事は間違っているか、本当にやりたいことなのか、判断がつけばいいのです。
しかし、私は完全に判断を誤っていました。日本の就職活動の流れにのまれ、まったく興味のない仕事に就き、興味のないものを売る。しまいには、上司のセクハラ。
今思い出しても、恐ろしいです。
そんなことがあっても日本特有の価値観の「仕事を辞めるのは悪いこと」と考え、親にも相談できず、「辞められないなら死んだ方が楽」とも本気で思うことも。
そんな時、付き合っていた恋人が仕事をやめ、ワーホリに行くことになったのです。こんな簡単なきっかけで私は目が覚めました。
「やりたくない仕事に人生を費やしたくない!」
「もっと色々なことがしたい!」
「そうだ、私は旅行が好きだ!筋トレも動物も英語も大好きだ!」
仕事や生活で手一杯だと、自分を見失ってしまいがち。でも、私には可能性があると気づけました。
日本で感じていた苦しみを捨て、ニュージーランドへワーホリに行ったのです。恋人と一緒に。
▲ニュージーランドでワーホリ中の私
結局恋人と別れてしまい、それぞれの道を歩むことになりました。
でも、私に可能性があると教えてくれた彼には今でも感謝しています。
<ワーホリに行ってみたい女性へ>
今していることは、本当に自分のやりたいことですか? 一度きりの人生、本当は何をしたいですか?
実現できるかどうかは一旦忘れて、キラキラしている自分を想像した時、何をしているか考えてみてください。
今思うと、私がワーホリに行ったのは恋人と一緒に居たい、今の仕事から逃げたい。と、未熟な気持ちが大きかったかもしれません。
でも、そのおかげで今後の人生を考え直せる、よい機会になりました。
ワーホリ後3つの仕事をかけ持ちするフリーターへ
ワーホリから帰国後、日本で3つの仕事をかけ持ちしました。
- パーソナルトレーナー
- フィットネスジムのスタッフ
- 居酒屋の夜勤
トレーナーとして、よい身体でいなければならない。
その気持ちから、厳しい食事制限。反動で過食症のようになり、東南アジアへひとり旅をした話は以前の記事でしましたね。
▲トレーナー時代の私
その後、東南アジアから帰国。ふたたび3つの仕事をかけ持ちする生活を半年間続けます。
しかし、2回目の退職をします。
確かにかけ持ちをしていると、時間に余裕はありませんでした。でも、3つの仕事にやりがいもあり大好きでした。
では、なぜ好きな仕事を辞める決意をしたのか。
2回目の転職理由は、とてもポジティブ。楽しい生活以上に、自分に可能性を追求したかったからです。
<仕事で悩んでいる方へ>
仕事は楽しい。忙しいけど充実してる。でも、この先仕事を続けて何が得られるんだろうと、思っていませんか?
また、10年後もこの職場にいたいと素直に思えますか?
もし何か引っかかるなら、行動を起こす時です。もっと輝ける場所があるはず。
1度きりの人生「好きなことを仕事にする」決意を
楽しい職場、やりがいのある仕事。
ですが、私はそれ以上を望みました。
以前はまったく興味のない仕事をしたので、次は「好きなことを仕事にしよう」と決めていました。
私の好きなことはこの4つ。
- 英語
- 動物
- 筋トレ
- 旅行
ニュージーランドのワーホリ中は、副業で英の本を日本語に翻訳するバイトをしながら、牧場で牛の搾乳と子牛の世話の仕事をしていました。
子牛の世話は大変だったけど、本当に可愛くて楽しかったです。毎日朝4時起きでしたが、苦ではありません。それくらい動物が大好き。笑
英語と動物を仕事にするのは達成。
その後、日本でフィットネストレーナーの仕事を経験。筋トレも仕事になりました。
最後に未達成だったのが「旅行」です。
旅行に行くのは大好きですが、それではお金は稼げません。転職サイトを眺め、旅行関係で気になる会社に連絡をしました。
連絡をしたのは、3社。
1社目 外国人ターゲットの観光ガイド
2社目 海外クルージングの添乗員
3社目 マレーシアで旅行会社勤務
3社とも面接を受け、すべて内定。
どの会社に就職するのか。本当にやりたいことを自分に問いかけました。
考え方としては「何をしなかったら1番後悔するか」という消去法です。また、この会社で働いている自分を想像し、どの自分が1番輝いているか。どんな自分ならワクワクするかを考えます。
その結果、選んだのが「マレーシアの旅行会社」でした。
あともう1つ、大きな決めになったのが家族。
▲大好きな家族
自分の人生が1度きりなのと同じで、家族の人生も1度きり。両親が老いてから、行動を起こすのでは遅いのです。
家族には「もう少しだけ好きなことさせてね」と伝え、マレーシアに行く決意をしました。
ちゃらんぽらんな私を家族はどんな時も支えてくれた。感謝しかありません。
日本は好き でも私には海外があっていた
職場や環境を変えたいのに、一歩が踏み出せない。
変化には、必ず犠牲が伴います。だから、勇気が出ないのは当たり前なこと。
こうして私は日本からマレーシアに移住しましたが、「日本を出るのが正解」ではありません。日本で転職する、引っ越してみる。それでも十分カッコイイ。
ただ、迷っている方に伝えたいのは、自分らしく生きるための勇気をもってほしいのです。
マレーシアに住むんでみると、マレーシアにはこんな魅力があると気がつきました。
- 物価が安く暮らしやすい
- 税負担が少ないこと
- 職場では誰もが対等なこと
- 「細い=美しい」の価値観が薄い
- 日本よりも便利に安くタクシー移動ができる
たくさん魅力があります。
決して、日本が嫌いでマレーシアにいるわけではないのです。日本食は美味しい。大好きな家族も友達もいる。もっと言うと、恋人は日本人がいいんです。
それでも私は海外にいる方が心地よく、自分らしく暮らせています。